以上は、べつに、今回、言いたかった内容ではなくて???
友人としてのお付き合いの話。
わたしは、もともと気遣うということが出来ない性質のようだpico 去斑。
努力して、最低限度、気遣おうとするのだが、途中で息切れする。
で、グループからは当然、脱落する。
あ???ひとり???になっている。
協調性が欠如している。
学生時代の仲良しグループが事実上、消滅したあと(決して自然消滅ではない)、
グループ同士でお付き合いしていた別のグループと、わたしはお付き合いをし始めた。
それは、学校を卒業して30年近く経ってからだ。
でも、やっぱりだめだった。
結婚祝い、改装祝い、なんとか祝い、香典、???なんやらの会???
会う、会わないとは別にした、時間とお金が必要。
そういうお付き合いは、わたしは好きでないことがわかった皮秒激光邊間好。
親戚付き合いだけで、充分、こりごりだ。
皆と会うにしても、正統派の皆々様、服装のひとつも気にかけなければならない。
時間を合わせるのもさることながら、めんどくさいのである。
なのに、これといって別に得るものは、ない。
なんのための、お付き合い?
でも、それはそれ。
当然の結果である。
だから挽回しよう、とか、あまり思わない。
自分には自分のスタイルがある。
切っても切れない親戚の冠婚葬祭がらみは、まあ、よしとしよう。
自分の実家サイドなら、喜んで、お付き合いしている場合もある。
が、自由に選択できる友人関係において、
友人たちのお子さんが結婚したり、お孫さんが生まれたり、親御さんが亡くなったり(しかも義理の)
皆、同じようなコースを辿っているのに、いちいちお祝いしたり、されたり、内祝いしたり、
喜びを分け合い、悲しみを半減させ、といっても、気持ちをお金やモノで表すのは、いかがなるものか袪斑。
なので、付き合わないほうが、諸々の事情を知らないで、ずっと気楽。
(ひょっとして、「形式的なことは、もうやめましょう」、と、新たなルールが作られたのかも知れないが)
そんな付き合いをしない友人付き合いもある。
背景や家族はまるで関係ない、個人同士のお付き合い。
たまたま、わたしの学生時代の隣グループの友人たちは、めんどうな付き合いをしていた。
それもあって、わたしは、脱落したように思う。