を通して徐々に知り始

息子はやがて谷底からバトンを拾ってくる日が来るのだろうか。
バトンを谷底に捨てたのは、わたしだけの責任ではない脫毛推薦
渡す相手が不在なのだ。


宗教心の押しつけ、祀りの義務、
夫のため、世間体のために渋々やっている。
樹木葬も商品化される時代。
次男さんなら飛び付ける。
重いものが、どしんと乗っかった長男の嫁は、なかなか一気に思い切った行動はできない。
で、またまた形骸化された行事を行うことになる。


しかし激光脫毛、、、
アタマの古いカチカチの親戚の中から、少しずつ古いしきたりを踏襲しない人が出始めた。
やったーーーっ!!
わたしは両手を挙げて大喜び。
夫はじつに残念そう。
あんなに大切にしていた絆、付き合いが疎かにされるなんて、と。
別に軽んじられているわけではない。
価値観の推移。
時代の波である。
自分の考え方を他の全員も同じようにしているのではないことを、皆さんの行動を通して徐々に知り始めた夫。


わたしは、徹底して、嫌われる勇気を駆使しまくった。
親戚一同、わたしのことは白い目で見ていることだろう。
いいの、いいの。
わたしの余生はわたしのもの。
親戚の皆さんのものではない禮品訂造


仕事関係、友人関係で、年賀状のやり取りを辞退する人、
お葬式は家族葬にして日時を知らせてこない人、
法事を事後報告にする人、
もういろいろ出始めている。
少しずつ行動も変わり始めている。


自分がやりたければ、やればいい。
否定は全くしない。
だが、他者を巻き込むのは勘弁してほしい。


とかなんとか、既成事実として、古くからの家があるのでどうしようもない。
出来ることはする。
壊すことはしない。
今やっていることを最低限に縮小して、谷底に捨てるものと、小さい箱に入れる物を識別しておく。
大きなものは受け入れがたくても、小さなものなら、細い強いピアノ線のようなものなら、継承出来るのではないかと思う。
マインドの継承。
だが、強制や洗脳であってはならない。
人や自分を大切にする気持ちは、代々受け継がれてきた。


お盆。
仏前で自然に手を合わせると涙が流れた。
姑に対する感謝の気持ちが湧き出た。
これは宗教ではない。
人として、自然な流れを汲んだ気持ちだ。