く能力を発揮した

穀潰し、と言われている側にではなく、言っている側に目を移す。
(わたしの周りには、そんなことを言ったり態度に表したりする人はいない床蝨解決
わたしが勝手に、今の時代ならそうかもしれない、と想像力逞しく、悲観しているだけ)
じゃあ、あなたは、穀潰しではないにしても、効率的、合理的な動きをして、最高に能率よく、余すことなく能力を発揮したのか?
その能力や結果は、すべての人が認めているのか?
質はどうなのか?
自分を肯定したいだけなのではないのか?


家族に穀潰しがいる人は、どう接すればよいか、とご親切に導いてくれるサイトまであった。
役割を持たせよ、だそうだ。
会社にも穀潰し社員がいるそうだ牙科專科醫生


何もしないほうがまだマシで、下手に何かして、マイナスの結果を招く場合もある。
何もするな、とはわたしは言わないが、皆んなが我も我もと動くと摩擦を生じる。
まあなんでも、ほどほどが良い。
何も建設的に生み出さない場合は、生きる権利がないのか?
そんなこと言ったら、若者が多くの非生産的高齢者を支える税システムはどうなるのか?
過去になんらかの役に立った人は、その功績を少しずつ削り取って、食べていっているのか?
功績は、お金だけではない。


まあ、あまりにも目に余る穀潰しはどうかと思うが、世の中、「穀潰し」カテゴリーに属する人々は少なくないと思われる。
すべての人に優しくなければならない今の社会は、大変デリケートな時代である。
穀潰し側から見た景色と、穀潰しと接する側から見た景色と、外から見た景色は違う脫毛邊間好


自分を必要以上に声高に肯定する必要はないが、否定しても人生、面白くない。
で、、、自分は穀潰しなのか?
ブログで暇潰しではなかろうか。
と、笑えない冗談をマジメに言ってふざけている。

を求めていないよ

よくよく考えると、わたしは、あまり生活の快適な質を求めていないように思う。
自分の労力と快適をはかりにかけて、労力がかかる割に得るものが小さいと、手を抜く。


わたしが、どうしても手を抜かなかったことは何だろう?
ん????
思い当たるが、書かないことにしよう空氣清新機推薦
嫌な感じ、嫌味な人物と思われるかも知れないことをわざわざ自ら告白する気はない。
洗いざらい自己開示しない。
価値観、考え方の基準は、その、手を抜かない部分に存在する。
いわゆる核である。
その核はどんな人にも必ずあると思うが、自覚しているかしていないかで、違ってくることもある。
自覚していない人も多いかも知れない。
自覚するキッカケがないと、無意識なまま一生過ごす。
人に指摘されて気付くこともある空氣淨化抽濕機
無意識=無自覚=深層心理
こころの奥深くに眠っている場合もある。
知ったからといって、良かった、幸せとは限らない。


人として、多くの人と共通点を持つと考える。
良い面も悪い面も。
小説や映画、音楽、美術、、、なにかしら言葉に出来ないものを感じ取ることがある。
仕事や娯楽を通しても。
感覚をシェアする。
シェア出来ない場合も多々、多々ある。
いろんな人がいるから服務式住宅
無意識のものを引き出されることもある。
わざわざ、わざと作為的に引き出すこともある。


なんだか、話しが抽象的、概念的になり、まとまらず、軟着陸できなくなってきた。
お読みになっていた方、途中でほってください。
迷宮話にお付き合いいただき、ありがとうごさいます、そして、すみません。

分厚いのか薄いのか

年をとると、キレやすくなるらしい。
それを地でいくと感じる、今日この頃比堅尼脫毛


ある、さほど都会でもない、JR快速停車駅、京阪神地区の垢抜けてもいない、駅前マンションの一階に入るテナント。
おばあさんの長ズロースやら下着が、店先に吊って並べられている。
そんなお店と同じフロアにある、女性向けファッション店。
通路側のショウウインドウに、いくつもの白いボタンの並びが印象的な洋服がディスプレイされていた。
通り過ぎたが、一瞬、戻って、ショウウインドウを見る。
カーディガンなのか、カブリなのか、ワンピースなのかチュニックなのか、ざっくりニットなのか、別の素材なのか、分厚いのか薄いのか、軽いのか重いのか、薄暗いガラスに囲い覆われ、ぜんぜんわからない收細毛孔


で、デザインに興味を覚え、店の中に入った。
一歩入ると、閉ざされた狭い空間に二人の店員。
しーん、、、
(いらっしゃいませ、って言わないのね、この店)


「あの、、表の服なんですが、、、」
しどろもどろに言う、わたし。
店員は、他に客もいないのに、狭い場所で二人はじっと横一列に並んで、動こうともしない。


「あの服、どんなふうな服なのか、ちょっと、、、その、、あの、、」
一生懸命、要望を述べようとする、わたし。


年のいったほうの(年齢はわたしより上と思われる)やたら、どぎつい原色を顔に塗りたくった店員が、怪訝な顔をする。
指の爪には、これでもかと、ゴテゴテ?ギトギト悪趣味ド派手ネイルアート。
魔女か悪魔?
全く似合っていない。
イヤラシ汚らしいと感じさせる、行き過ぎネイルアートも、あるのだ、とへんに感心した。
やり過ぎは、なにごとも逆効果。
もっともわたしが嫌いとするタイプ755 脫毛
似合わないのに、やりたがる、自分を客観視できない典型的見本。


ネイルアートだけを見ると、そこまでこき下ろす必要はないが、人物像として、今までの人生65年ぐらい?の積み重ね、どうしようもないギットギトのオーラを放っている。
いい年して、あんな趣味の人もいるんだ、洋服屋さん(ブティックとは決して言えない)の店員をするにはいいかも知れないが。


そんなに悪意を込めて頭ごなしに、ボロカスにけなす必要はないのだが、
わたしには、その必要があった。


シーンとして客の出方を見守る店員。
(普通は店員さんが、
なにをお探しですか?
Can I help you?
と駆け寄ってくるのでは?)