観に行かなかったため

fhrewdh

今日のブログは、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の感想を書く予定だったが、昨日、観に行かなかったため、書けない。
突然の、わたしの映画予定を押しのけてまで、しゃしゃり出て来たのは、、、
Aさんからのハイキング参加のお誘いだった激光脫毛。


本日は、グループでの軽登山が行われていて、Aさんはそれに参加している。
わたしも誘われたが、断った。
わたしは、アタマではわかっている。
ウォーキングやハイキング、軽登山は、自然に触れ、健康にも良い活動だということが。
しかも、自分で事前下調べや準備をしなくても良く、当日も着いていくだけ、アタマは全く使わなくても良く面倒なことは一切なく、さらに、参加費も交通費と、保険料500円ぐらい?のみ。
ローコスト、ロー手間、安心安全、、、
誘ってくれる人がいるなら、尚更良い機会なのに、、、
にもかかわらず、どうしても、足が向かない、気が向かない。
今から少しずつ慣れていき、今後の足掛かりにすれば良いのに。
年齢が行けば行くほど、スタートするのが億劫になる毛孔角化症。
なら、今でしょ!
ということは、とてもよくわかっているのだが、、、。
1.健康
2.自然
3.仲間作り
実に理想的なのだが、、、


このお尻の重さはなんだろう。
自分でも自分が理解できない。
悩んだ時は、、、大親友ChatGPT に訊ねる。
このわたしの状態を理路整然に箇条書きにし、説明、解説をしてくれた。


実は、何度も同じような質問をわたしは繰り返している。
もし、リアル生身友人なら絶対にキレられていることだろう。


自分の納得ポイントを拾って、ざっくり言うと、答えは、、、
「健康に良いから◯◯すべき」という義務感が先走っていて、自然な欲求になっていない、ということ。
なるほど。確かに。さすがChatGPT 。
アタマに身体が追いついてないようだ。
理想を掲げているのに、しかも条件は整っているのに、本能が抵抗している美白療程。
わたしの本能には、ほとほと手を焼く。
せっかく理想に近い状態まで持っていっているのに、肝心の足が、(動かすことは可能なのに)動きたがらない。


と、ぶつぶつ言っても始まらない。
自分でも気づかない深層心理を無理矢理探ってみると、、、
たぶん、わたしは運動嫌い。
ダンスはよく続いているものだ、貴重だ。


50歳直前にスポーツジムに通い始めた。
スポーツ嫌いのわたしが、かなり無理をした。
約7年、頑張った。苦しかった。
(ダンスはスポーツジムと同時に始め、それ以来ずっと今も続いている。
蝶ブログスタートより3ヶ月、早かった)


それはいいとして、、、(脱線、常習犯)
嫌いなことは、頑張らなくてもいい年代に、わたしは突入している。
だから頑張りたくない。
タバコやお酒は健康に良くなくても、やめなくても健康な人がいるように、
運動が健康に良いとわかっていても、運動しなくても健康な人がいる。
これは自分に都合良い例を出しているに過ぎないが。

専門家の助けを借

fhrewdh

自分では思い通りにならないから、他に依存すると気が楽になる。
抱えきれないもの、こころの別部屋に入りきれないものを扉を開けて放出する。
その方法は、人それぞれだろう超聲刀副作用。


別の何かに熱中してその時間は忘れられても、根本治療にはなっていない。
また、じくじく痛み出す。
一人でどうにもならない時は、カウンセラーやセラピーや心療内科や、こころの専門家の助けを借りると、解決の糸口となる。


別のことに熱中して、その別のことにのめり込み、今度は依存症という新しい病理を生み出すこともある。
病は次から次へと形を変える。


病の根本を治して完全治癒が難しいなら、病と共に共存共栄して生きていく腹直肌分離。
根絶は諦め、一病息災。
あまり無理をしないから、悪くはない。


こころの病は、根源を探り出す。
自分は何をどう感じているのか、なぜ自分はそう感じるのか、経緯を遡って、こころのねじれを紐解き自分に問う。
トラウマだったりコンプレックスだったり、色々ある。
克服するのはとても難しいと感じる。
涙と時間が必要だ。
自分らしさを認めるのは困難。
認めすぎて自分に高い評価をする人もいる。
やりすぎると嫌われる。


劣るダメな自分も、かわいいと思って愛でる。
あまり周りと比べるのは良くないが、自分の過去と比べたりすると、どうしようもない。
日本だって栄光は過去になりつつある。
アメリカだってそう。
ヨーロッパだってそう。
スペイン艦隊がイギリスに敗れた時(1588年)に歴史は動いている。
順番順番。
トランプゲームと似たようなもので、誰かが勝って、誰かが負けるthermage。
勝ったり負けたり。
栄光と転落。
そうやって時を紡いでいる。


とかなんとか、話しがぐーんと広がり過ぎて、身近な悩みや疑問にフォーカス出来なくなってしまうのが、いつものわたしの流れ。
シミや汚れを揉み洗濯しているようなもの。
すっかり元のようにキレくはならないものの、滲むか馴染むかして、あまりわからなくなっている。
誤魔化しているとも捉えられる。
しかし、なんでもかんでも、追及すれば良いというものではない。
外科手術か、漢方薬か。
切除か、融和させるか。
緩和というものもある。
温存、誤魔化し。

喜びの先取りだと感じ

fhrewdh

今日に限って、「虎に翼」が始まる直前まで、テレビをつけなかった。
大量のトマトをキッチンペーパーで包んで冷蔵庫に入れたりして、ぎりぎりになった。
で、「8時何分か前」にテレビをつけると、あれ? 深刻な顔をした女子学生がなにやら喋っている。
もう始まっていた鄧幹耀。 
なんで?


いつもは7:40ぐらいからテレビをつけてスタンバイしているのに。
平和式典が生放送で8:00から始まるため、「虎に翼」は前倒しに放送されたようだ。
そんなん、知らん!
わたしが、いかに「虎に翼」を楽しみにしているか、、、。
今日は、孫鉄のお供で昼の再放送は見られない。
1週間分続けて番組録画していれば済むことなんだが。
よほどのことでもないと録画はしない主義。
難儀な主義のせいで、振り回されたり、想定外の喜怒哀楽の波が押し寄せたり。


ちなみに、昨夜の男子バレーボール、イタリア戦は、残念だったHong Kong Fellowship。
逆転負け。
リードしていた最初からなんだか、悪い予感がしていた。
実況中継アナウンサーが、「この瞬間に日本は栄光の輝かしい座をついに得ます」だかなんだか、まだ次の1点を取ってないうちから、フライング、喜びの先取りだと感じた。
これで勝てなかったらどうする気?
確実になってから言って!と、わたしは思った。
気持ちはわかるが、軽率である。


わたしは、「一寸先は闇」主義である。
どんなにあと少しでゴールであろうが、実際にゴールに着実に到達するまでは気を抜けない。
バレーボール選手たちも気を抜いているわけではないのに、ゴール瞬間の前に、先に勝利宣言されてしまうのは実に気の毒だ。
あの勝利アナウンサーの言葉には、わたしは晴れ渡る青空の中の、突然の黒い雲を感じた。
アナウンサーは、重要な役割だ。


それと、もう一つ、気になって気になって仕方ないことがある。
生放送だから仕方ないにしても、コメンテーターとして出演している元選手のコメントに、「ほんとに」という言葉が何回も何回も出てくる。
「ほんとに」を抜くと、気持ちよくコメントが聞ける。
MC的役割のプロのアナウンサー女性(たぶん)でさえ、「ほんとに」を多用する。
(「ほんとに」が多いので、プロアナウンサーではないのかも知れない)
外人選手の、しょっちゅうインタビュー会話に出てくる
"You know?”ぐらい、気になる。


「あのー」「えー」のようなものだろうか補鈣奶粉。


ほんとに、全力で向かっていて、ほんとに、感激しました。
ほんとに、今までとは違う、ほんとに、選手たちの頑張りが、ほんとに、見ていて胸が、ほんとに熱くなりました。
ほんとに、また次のオリンピックにも、ほんとに、このチームワークを、ほんとに、、、、


選手たちには惜しみない拍手を送る。