場まで走ったことはあ

「家事育児とボク、どっちが大事なの?」
自称、子供のなかで末子を平気で自認する、手のかかる夫。
さすがに、今時こんな夫がいたら、首を絞められるだろう。
ちなみに、不出来過ぎるわたし事でお恥ずかしいが商務禮品、、、、
わたしの場合はそれに近かった。
昭和の夫は仕事オンリー。
家事、育児、教育は、妻まかせ。親まかせ。
でも、お金は家に入れていた。
入れないより、まだマシか。
家政婦代金、チャリ〜ン。
だが、暴力やギャンブル、女性、3拍子はしない。
(夫の麻雀の負け金【大金】を持って来いと言われ、わたしは車で現場まで走ったことはあるけれど)
昔の芸人みたいに、遊びは芸の肥やしだ、なんて堂々と主張するなら独身になってからどうぞ。
犯罪に手を染めなければ、人に迷惑をかけなければ、誰も止めやしない。


「誰のおかげでメシが食えるfull bikini 脫毛 位置?」
は、完全なモラハラNGワード。
今時、そんなことを言う人もいないだろうけれど。
仮に言われたら、答えは
「ワタシのおかげです」


40年近く前、子育て真っ最中、夫が帰宅すると憂鬱だった。
子供に手がかかるのに、夫に手を取られるからだ。
ワンオペ育児に、加えて夫の世話。
「夫が手伝ってくれる」の真逆。手助け加算プラスの逆で、マイナスしかない。
家に帰ってきて欲しくなかった。


時代は変わった。
変わらないのは夫だけ。
昔のままの価値観、感覚でいられると、言いようのない嫌悪感と絶望感に襲われる。
だが、相手の行動や中身を変えることは出来ない。
相手を替えることは出来ても。


再婚はあり得ない。(まだ離婚してないけれど)
誰かと一緒に暮らすのは嫌。(男性は嫌。女性も嫌)
台風や大雨の時は、同居人がいると心強いがPSA 高
よほど病気で弱って自立できなくなったら、毎朝、生存確認してくれる人となら暮らしてもいいか。 
それならセンサー付きロボットで充分。


弱い不甲斐ない自分を責めることはやめた。
わたしは生まれ変わった。
つるんと一枚、着ぐるみを脱いだ。
ゆで卵みたいに、すべすべつるつるしていたら良いが、シワシワ。
もう老後だし、仕事も家庭もリタイア。
卒業した。
親しい友達みたいな娘一家は、責任なく楽しいけれど。
わりと、清々しく気持ち良い。
坐禅もしないし、断捨離のDVDも買って勉強しないのに、無の境地。
どんなにガラクタゴミ屋敷でも、こころは断捨離済み。
辿り着くのは無常の世界。

たしたちは成長したの

長女に、「おかあさんの『母の思い出の料理、味』は何?」と問われ、うーーん、としばし考え込んだ。
母の失敗作や嫌いなメニューは即座に浮かぶものの、美味しかった料理は思いつかない。
それは、母が自分好みの味、材料で料理をし、子供の口、好みを無視していたからに他ならない去暗瘡疤
子供の好きなものを作る、などということはなく、自分が食べたいものを作る母。
自分中心主義。ブレない。
それはそれで、一本、筋が通っている。
が、、、。


祖母は、わたしたち子供(孫)の好きな料理も作ってくれた。
これらは思い出に残る。
結局、成長期にこころに残る食べ物は、祖母の料理と姉の作ってくれた料理と、父が取ってくれた洋食屋さんメニューと、最後に、母の(子供の口に合わなかった)マズイ料理皮秒去斑
母、かわいそう。
(他にも賄い係のおばさんや、おばあさんたちが作ってくれた料理でわたしたちは成長したのだが)


これ、子供に嫌われる料理を印象付けたわたしも、母と同じような役どころになっている。
歴史は繰り返す。
しかし、納得がいかない。ぷんぷん月經失調


※写真は、娘婿(次女の旦那さん)が作ってくれたお誕生日メニューの一部。前菜、オードブル。

をしないような気がする

最近はあまり自分が楽しみながらブログを書いていない。
つまり、ノッてない。


ところで、女性の一人暮らしは、男性に比べると楽しいかも知れない滅蟲方法
何を作って食べようかな、何を買って食べようかな、と、自分で出来る。
家の中を自分の好みに片付けたり、縫い物をしたり、掃除をしたり、好きなように出来る。
男性は家事をしてこなかった人が多いから、家に一人で居てもTVを見るぐらいしかすることがなくて退屈だろう。
生活を工夫して楽しむノウハウがない。


一人暮らしのシニア男性が3食手作り食事をSNSでアップしていて、美味しそう。
なかなかマメな人だ。
趣味は料理なんだそう。
趣味と実益を兼ねていて結構なことだ。


脳にだけ刺激を与え続けるのではなく、生活を楽しむことが出来れば良いのに、男性は生活そのもの、暮らしを楽しむことをしないような気がする。
暮らしと切り離した趣味に没頭したり、スポーツや、車、登山、などなど、暮らしとは別の、特別なことをしないと面白くないのではないだろうか。
そんな人は暮らしのベース、つまり家事はどうしているのか禮品訂製
器用にこなす男性もいる。
逆に、不器用な家事嫌いの女性もいる。


わたしに関して言えば、家に一人で居ると、わりとご機嫌だ。
退屈することもあるが、活動日とほぼ日替わり、交替なので、退屈は刺激の下準備、メリハリになる。
たくさんの退屈があってこそ、ほんの少しの刺激がスパイスになって効く。
わたしは、歳を取ったなあと、つくづく思う。(悪い意味ではなく)


去年は、ちょっと刺激があり(趣味分野で、ワタワタした)、そちらに気を取られすぎ、とても大事なことをすっかり忘れて、大変なことになった。
実社会(実業分野)で大ダメージ、被害を被った。
まだ次善策は整っていないが、被害を拡大せず食い止める手はとりあえず打った。
大きな地滑りはストップ状態ではあるが、小さな地滑りは収まらず良い方向には向かってないものの、静観、待機。
今年は打って変わって、落ち着きすぎて退屈。
とは言え、昨年の失敗をまだ修復していない。
マイナスは落ち込んだままで、回復していない婚禮場地
もっと躍起にならなければいけないのだが、騒ぎもせず、落ち込みもせず、未解決なまま、へんに落ち着き、退屈してしまうほど。
どうなっているのだろう。


さらりとした自分。
余計なものが洗い流された感はあるが、大事なものも、同時に流れ落ちてしまったような気がする。
眠くなりそう。
また復活する日は来るのだろうか。
20年早い感想だ。
だが、静かな自分も嫌いではない。
ひっそり動かない日々を楽しんでいる。