顔は知っている

またまたお葬式に出席することになった。


式場が、遠い・・・。


といっても、今回はまだマシで、何時間も電車に揺られ、延々・・・とまではいかないが。
でも、県をまたぎ、片道1時間半以上はかかるbackdrop 佈置
(徒歩~バス~電車2本乗り継ぎ~タクシー)
朝の早くから用意して・・・あああ。


今度は、顔を知っている人。遠い遠い親戚だ。
法事やお葬式で、数回ちらと顔を合わせたことがあるので、顔は知っている。
話したことはないけれど月租服務式公寓


以前、半年の間に3回連続列席した、遠い遠い遠い遠い親戚は、
[夫(義理)の、オバの、夫(義理)の、兄弟やその配偶者(義理)]
会場も、遠く遠く遠く、それはそれはそれは、イヤになった。
もっとすごいのもある。
[夫(義理)の、オバの、息子の、妻(義理)の、親]
それぞれお互いに、住んでいる場所もかけ離れた遠くの場所(聞くまで、どこに住んでいるのかも知らない)、
日ごろの付き合いはもちろん全くまるでしてないし、
顔も名前も、なにをしている人なのかも、列席当日まで知らない。


あまり近くない親戚でも、お世話になった人とか、小さい時から知っている人、つながりがある人なら、
感情移入できる。
が・・・当日、はじめてお顔を拝見する人には、感情移入のしようがない。


・・・・・
自分の葬式は、前もって、遺言しておきたい除甲醛推薦
終活スタート。
白洲次郎が、葬式無用だか、戒名無用だか、言ってた。
自分の遺志としては、「葬式いらん」、だが、残された家族の社会的立場もあるだろうし。
「わたしは、出来れば葬式は家族葬でこじんまり、
他県から、『あああ・・・遠い・・・(距離も、関係も付き合いも・・・)』とか思われて来ていただきたくない。
でも、残った皆の好きにしてちょうだい」
という柔軟性のある遺言にしておこう。